富山大空襲町は一瞬にして焦土と化しました




富山大空襲町は一瞬にして焦土と化しました


富山大空襲町は一瞬にして焦土と化しました

富山大空襲町は一瞬にして焦土と化しました


☆彡 ネット調べ ☆彡

1945年8月2日午前0時36分、米軍のB29大型爆撃機174機が、
富山市中心部に50万発以上の焼夷弾を投下し、

町は一瞬にして焦土と化しました。 この「富山大空襲」
市街地の99・5%を焼き尽くし、被災した人はおよそ11万人、
亡くなった人は2700人を超え、地方都市としては人口比で最も
多くの犠牲者を出しました。

☆彡 義姉から聞いたお話 ☆彡

今もこんなに体は柔らかく、若い人にも負けない
昭和14年生まれ、83歳です。

富山も空襲がひどかったそうです。

のちに戦争に行って帰ってきた兄のお嫁さん、

義姉が終戦当時16歳だったそうで教えてくれました。

飛行機から落ちてくる焼夷弾っていうのですか、
それから逃げるのに布団をかぶって神通川まで逃げたそうです。

私たちは満州にいましたので、遠間の大空襲は知らないのです。

怖かったでしょうね逃げた人は、義姉は16歳だったそうで。

神通川はもう暑くてすごいことになってたそうです。

そんな時代を乗り越えてきた日本人は強いですよね。

そしてのちに母のおかげで私も、ネットのお仕事にもつながる
商売の方法を学び今もやっています。

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